|
プエルトリコでは二つ、スペインでもひとつのテレビ映画、ベネズエラ、スペイン、プエルトリコ共同制作の90時間の連続テレビドラマ出演というスケジュールの上に、メキシコではテレビドラマ主演を目標にして、俳優オズワルド・リオスは、9年間の国際的な芸術活動の後に、今こそ、ゆったりとものごとをする必用性を感じている。
「今僕はとても楽しんでいるし、いろいろなことに、より笑うことができ、プロセスを楽しむことができる。前は全てのことを上手くやるために戦っていたし、自分にひどい要求をした。今は、ものごとを前ほど気に病まなくなり、それがよい結果になった。もう、若い頃のように、生きることを馬鹿みたいに焦ったりしない。少しずつものごとをこなして、一段一段登る。それにかつては一日に千ものことをしたかったが、今は 999でいいし、それを楽しんでいる」と、二枚目オズワルドリオスは、テレビ映画の撮影の休憩に、はっきりと語った。
『アセシナート・エン・プリメール・グラード(第一級の殺人者)』は、テレビセントロで4月に放映される。
彼がマリソル・カレーロと供に、テレビでの初仕事『アオラ・オ・ヌンカ(今がチャンス)』に出演し、商業的に成功を収めた作品『マチョ』で演劇デビューをしてから、すでに9年が過ぎた。それ以来、彼の作品とその役のイメージは、78カ国ものテレビ画面を旅し、彼をプエルトリコの数少ない代表者の一人に変えたのだ。彼はモスクワ、中国、ボスニアで見られ、そしてもうすぐブルガリアへも進出する。
「強く殴り倒されて、起きあがる、というような、大きな成長の過程だった。僕は個人的にも、芸の上でも、とても成熟したある段階にさしかかっていると思う。そしてそれは、多くの困難と個人的体験を経て、たくさん働いたことでのみ得られるんだ」。歌手でもある彼は、そう言った。
彼の経歴の中で、方向転換は心理学を芸術のために辞めた事で始まったわけではない。彼の家には、オズワルド・リオスが生まれたとき、泣かずに笑っていたというひとつの伝説がある。彼が学生である間は、ずっと演劇と音楽とスポーツは続けていたし、この最後のスポーツに関してはいまだに彼の大きな趣味である。しかし、彼はやってきたことの全てに対して、ある程度の情熱を見出してきたと言った。
「勉強だろうが、何だろうが、何をしていても感動と情熱と献身でとりくんだ。でもいつだったか、心理学の大学院にいた頃、僕が好きだった演劇や音楽に進むべきだと悟った。マリソルと番組を撮った後で、コリン・テジャートの作品を作っていたニディア・カーロとガブリエル・スアウとの大きなチャンスが来た。ヴェネズエラ人女優ルディ・ロドリゲスと、『エン・アケージャ・プラヤ(あの海岸で)』に主演し、僕の人生は360度急変した」
と彼は言う。
キャリアのための戦い
こうして、世界中でこの番組は見られた。そして、テレビドラマ作家のダリア・ファージョがマイアミで、ホセ・バルディーナとレベッカ・ゴンザレスを有名にしたメロドラマ、『ペレグリーナ(巡礼者)』の台本を書きなおしていた時、オズワルドの演技を見て、ウニビシオンに電話し、彼こそは『ペレグリーナ』の主役にふさわしく、タイトルは『カサンドラ』と改める、と告げた。
その後は皆もご存知のように、テレビ、映画で何度も主演し、ディスクを出し、それぞれの国の言葉に訳された彼の声は世界中を旅し、名声、幸運、そしてスキャンダルも手にした。
「僕は人生を生きて、仕事があるレベルに達して、知られるようになった。僕について書かれる多くのことは、残念ながら全てが正しいわけではない。だから僕はいつか、僕のことを僕のした仕事や、やってきたことのために思い出して欲しいと思う。マスコミが作りたい僕の魅力や、ものごとによってではなくね。本当のことを真面目に書いてもらうためにずいぶん戦っている。それが僕の仕事から来ることはわかってはいるけれど」
有名な二枚目俳優はこのように主張した。
しかし、リオスは現実主義者で、かかわったことには責任をとる人間であり、非難や風当たりにはきちんと立ち向かう。
「ねえ、僕にとって、ショーの世界で一番難しかったことは、感情や感動をむきだしにして、傷つきやすい状態をさらけだすことだった。子供の時から、とても情熱家で、勉強でも仕事でも家族でも何事にも激しいことは確かだけど、感情や感動を観客の前で表現する時は、とても難しいものがあった。でも、僕はカロリーナの出身だけど、養父はいまでもリオ・ピエドラス市場に屋台をもっていて、僕もそこの人間なんだ。だからいまだに、自分のことをリオ・ピエドラス出身の少年と同じだと思っている。僕の養父は、どこまでいこうと、どんな立場になろうと、自分のベッドをなおし、部屋を片付け、ごみを捨てることをアドバイスしてくれた。この比喩は今でも僕の中に生きていて、実践している」
毎週午後二時より、テレムンドで放映されるコロンビアのテレビドラマ、『ラ・ビウダ・デ・ブランコ(ブランコの未亡人)』の主役はこのように語った。
実際、フリオ・ヒメネス(『ラス・アグアス・マンサス(ゆるやかな流れ)』、『エン・クエルポ・アヘーノ(他人の肉体に)』)により書かれたこの役は、彼の多岐にわたる経験を生かし、表現することのできる濃いキャラによって、二枚目から完璧な俳優に転身する岐路として、彼のキャリアを新たに一層深めることとなった。
「僕の父の比喩的な忠告に話を戻すと、僕はそれを、大きな責任をもって変わらずに守りつづけている。” 国を出る時、おまえの広い肩には、国民を担っているんだ。そしてそれがおまえの人々が期待することで、おまえの生きるルーツの視点を忘れずにいることだ ”。それが僕のベースとなっている」
俳優はこのように結んだ。
|