プロフィール/記事


ブルガリアは大歓迎


Pblico Blgaro lo aclama

ブルガリアのファンは彼を大歓迎
by『エル・ボセーロ』ライター、ホルヘ・ロドリゲス

Photo01 ブルガリア発?何年ぶりかの初雪の中、ブルガリアの首都ソフィアに、テレビドラマ二枚目俳優オズワルド・リオスは到着したが、これは単なる訪問ではなく、このプエルトリコ人と、彼のファンの邂逅の熱気は、寒さを吹き飛ばした。ファンはこの同志の国での滞在中にますます増え続けたのだが。
 到着から歓呼の声に迎えられ、ブルガリアのユーロコム・テレビ社長、Dimiter Andelovに独占的な招待を受けた、連続テレビドラマ『トレス・デスティーノス(三つの運命)』、『ラ・ビウダ・デ・ブランコ(ブランコの未亡人)』の主人公は、最初の記者会見から、テレビのメロドラマ主人公のステレオタイプなイメージを打ち破り、”知的な俳優”としてその卓越した魅力が知られることとなった

ジャーナリズムを独占

Photo02 バルカンの大地を巡る日々、毎日何百人ものジャーナリストから受けるさまざまな質問を切り取り、新聞や雑誌の見出しはざっとこんな風だった。「オズワルド・リオスが来た。ハンカチのご用意を!」などというのから、「キュスティンディルの村の女性は、オズワルド・リオスに会って喜びに震える」、「オズワルド・リオス:ブルガリア女性と結婚してもいい」、「連続ドラマの王、ブルガリア語で話す」、「彼に会いに来た老女が失神」、「オズワルド・リオス、国会に行く」「ミサはオズワルド・リオスのために中断」「オズワルド・リオスはコンサートの全売上を孤児院に寄付」「オズワルド・リオス:君の愛に、愛で答えたい」なんていうのまであった。

 招待された俳優には、孤児院への寄付を集めることのほかに、さまざまな目的があり、同時に多くのことを語った。たとえば、プエルトリコの芸術、映画、文化、政治について、大衆芸術について、テレビドラマを作る困難な仕事について、映画や、演劇、愛や夢、息子のこと、アメリカ人の起源、心理学者としてのキャリア、プエルトリコで80年代に働いた青少年問題研究所での秘書としての仕事について、実証主義と生きることの大切さなど。
 「人は時々、ちょっと振り出しに戻ってみるといい、後で再生して、新たな意気ごみで人生を始めるためにね」
 と言ったこともあった。

Photo03 ブルガリア人たちも同様に、彼にいろいろ教える準備を怠ってはいなかった。映画関係者、アーティスト、宗教家、政治家、子どもたちとの会見、歴史的な場所への訪問、さまざまな種類のインタビュー、そしてまた、民族音楽、ポップ・ミュージック、宗教芸術やモダンアート、手工芸、クラシック音楽や現代ディスコ音楽などの、さまざまなリアルタイムの文化的表明の代表が、次々と紹介された。


プエルトリコについて語る

 「仕事のあらゆる面で最も愛すべきことは、夢を見ることができることだ。それはほんのわずかの人々しかできないことだし、その上、僕らはそれで稼げる。僕の父から、急がずに、でも休むことなく生きることを学んだ。それから、ベッドを整えること、ごみを捨てることも教わった。それが地に足をつけていることだと。何度か僕は死にそうになったけど、今でも歩きつづけている」
 ブルガリアの映画関係者との会見で、彼はそう表現した。

 こうした一連の事柄で、それはちょっとした瞬間だったが、確実な共感を集めたことがあった。たぶん彼の素朴さからだったのだろう。それともアーティストは彼の外見的なイメージから勝ち取るものが、全てではないと知っていたのかもしれない。その時彼はブルガリアの人々に、自ら希望してプエルトリコ風アロス・コン・ポージョ(鶏肉とご飯の料理)の彼自身のレシピを披露した。もう彼から目を離すことはできないと思わされた瞬間だった。


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