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オズワルド・リオスと、ブルガリアの歌手Yordanka Hristovaのために、ソフィア国立文化宮殿は一杯になった
ブルガリア発?それはほとんど信じられないことだったが、6千人もの聴衆を前に、ノスタルジー、ロマンセ、ギター、そしてブルガリアの第一人者である歌手、Yordanka Hristovaと、プエルトリコ人オズワルド・リオスの声が響いた。Asen Zlatarov孤児院支援のために埋め尽くされた、ボレロのコンサート会場で、ノエル・エストラーダの不朽の名作、『エン・ミ・ビエホ・サン・ファン(我が古きサン・ファン)』が歌われた時、ソフィア国立文化宮殿の壁は揺れんばかりだった。
プログラムの中には、スペイン語の歌の他に、ロマンティックなボレロや、ラテンのリズムの曲、たとえば、『エル・ブレーベ・エスパシオ・ケ・ノ・エスタス(あなたのいないつかのまの時)』、『エン・エル・アルマ・イ・エン・ラ・ピエール(全身全霊をこめて):オズワルド・リオスのディスクのタイトル』、『グアンタナメラ』、『アルマ・コラソン・イ・ビーダ(魂と心と命)』、『エル・マール・イ・エル・シエロ(海と空)』、『マドリガル(恋歌)』などがあった。そしてテレビドラマのテーマ曲、『ラ・ビウダ・デ・ブランコ(ブランコの未亡人)』、『アリシア』は皆で大合唱となった。そしてもちろん、Yordanka が歌った、大流行のテーマ曲『マナ』も欠かせない。やはりプエルトリコ人であるリッキー・マーティンも、この守り神のおかげで有名になったのだ。
つまり、この夜に、同胞へのチャリティーという形で、また彼らとそれをわかちあった一人の訪問者に感謝して、ブルガリアの人々は最高の思い出を共有した。それはなんて素晴らしかったことだろう!
オズワルド・リオスは、ブルガリアの人々とプエルトリコ人の間に、いくつかの共通点を見つけた
「この旅は、僕をとても成長させてくれ、ブルガリアの人々を知るだけでなく、僕達プエルトリコ人とは何かを教えてくれる、唯一の機会だった。さらに、一番大事なことは、僕達が人類としてどれだけ似ているか、何世紀もの間、外国の圧力に介入されつづけた国だけれども、生きる喜びを感じ、芸術に感動し、文化的アイデンティティを保持する能力があるということ。そして、確かなことは、さまざまな困難を経ても、他人と微笑みを交わすことができるということだ」と、リオスは述べた。
彼がソフィアに着いた時には、すでにコンサートのチケットは完売していたので、アーティストは、大満足だった。収益は全て孤児院に寄付されるからだ。この成功は、彼が前に主役のジプシー青年を演じたテレビドラマ、『カサンドラ』で、この地域、つまりドイツ、ルーマニア、チェコ共和国、ボスニア、トルコなどの国々への扉を開いていたことにも起因するだろう。
「この成功の大部分は、この地域に、文化的にも社会的にも、ジプシーの強い影響があることによると思う。そのおかげで、ここの人々はジプシーのことを扱うドラマにかなりの共感を抱いたのだと思う」
彼はそのように示唆した。
『カサンドラ』や、『トレス・デスティーノス(三つの運命)』は、百カ国以上の国で視聴されたし、『ラ・ビウダ・デ・ブランコ』は現在大成功を収めており、52もの異なる市場で見られている。ブルガリアの場合は、再放送され、そのあまりの人気で、夜と朝二回も放映されるほどだ。
『ラ・ビウダ・デ・ブランコ』の成功
このめざましい成功は、ブルガリアにもたらされた好景気に関係がある。何年も共産主義ユーゴの支配下にあったが、現在は自由市場経済をとっているからだ。ユーロコムは新しい民放のテレビ局で、あるケーブルテレビグループの一部をなし、テレビ視聴者のために、試しにこういうタイプの連続メロドラマを導入したのだ。この試みに、視聴者が喜んでいるのは明白だ。
「『ラ・ビウダ・デ・ブランコ』の台本は、今までとはかなり異なり、特別なんだ。共産主義圏の国々ではかつては許されなかったような、ぎりぎりの表現を認めているドラマを作り上げることができた。この作品は、テレビドラマを、作品のレベルはもちろん、撮影、芸術、演技と脚本のレベルにおいて、世界的に認められるものに戻したんだ。プエルトリコから何キロも離れたところで、僕らの作った作品がどんなふうに浸透してゆくかをみるのは、すてきなことだ」リオスは国民の熱気を後にして、雪の中でこのように結んだ。
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